子供のころから他人の言うことに唯々諾々と従うことしかしていなかったため、自分の考えがなく自分のやりたいことが何かを考えることもなかった。
中学から大学まで付属校に進学したため環境の変化も特になくなおさら考えることがなくなった。
大学4年になってあわてるも就活のやり方がわからず内定のないまま卒業。
求人サイトにて見つけた東京都の未就職新卒者支援事業に申し込み就活開始。
応募するもなかなか内定が出ずにいたところ大量採用のIT企業からようやく内定(とはいっても正社員ではなく紹介予定派遣)が出る。
あれ、研修は?
東京都の未就職新卒者支援事業によって僕はIT企業に紹介予定派遣されることになりました。
募集要項には研修所で研修を行いますとあったのが、最初の出社はただのオフィス。
研修やるんじゃないの?
と思いましたが、初日は社長に挨拶して明日から研修なのかと強引に納得。
以降も研修所の話は一向に出てこず雲行きが怪しくなります。
そこでようやく気づきました。
いわゆる下流SEなのだと。
下流SEはいわば派遣社員のようなもので、本社(僕が入った会社)から他の企業に派遣され、派遣先の企業に常駐して作業を行う人のことです。
僕にはIT系のスキルや資格がなかったため常駐先が決まるわけもなく、オフィスに待機し一週間が過ぎました。
僕の他にも暇そうに待機している社員たちを見て「なんてところに来てしまったんだ!」と思いましたが、いまさら戻りたいといったところで支援事業も残り半月ほどで終了してしまうため、戻ったところで次の派遣先が決まらずに終わる可能性が高いので残ることに。
仕方ないので待機中はエンジニアに必須のCCNAという資格の学習をしていました。
今では二進数の計算しか記憶に残ってませんが(苦笑)。
そんなある日営業の社員が僕にこう言いました。
明日から武蔵新城に行ってくれ。
と。
自宅から2時間もかかりますが「仕事があるだけマシだ」と思い承諾。
そこからブラック企業は牙をむくことになるのです。
いつ終わるのかわからない仕事
武蔵新城に移って2週間、内容は自社制作のアプリの試作品の動作チェック。
なんで自社のアプリなのに渋谷のオフィスでやらないんだろう?
という疑問もありましたがとりあえずこなしていました。
すると今度は
明日から武蔵中原に移動ね。
…?!
そうか。これが研修で、ようやく本番の常駐仕事が始まるのか。
相変わらず能天気、というか単なるバカな解釈ですね。
こうして向かった常駐先は誰もが知ってる家電メーカー。
一体どんな仕事をするのかという期待と不安ないまぜの気持ちで向かうと、手渡されたのは一台のスマートフォン。
告げられたのは
スマートフォンテストをやってもらいます。
テストとはいっても、内容はスマホを操作してバグや異常がないかチェックすること。
デバッグは他の部署の人がやるのでバグ内容をパソコンのチェックシートに打ち込めばOK。
ですがバグがなければただスマホで遊んでいるだけ。
なんて生産性のない仕事なんだ!
すでに紹介予定派遣から正社員に切り替わっていて、紹介予定派遣の時には禁止となっていた残業ができるようになっていました。
そのため出るかどうかもわからないバグを検知するために終わりの見えない残業を強いられ、バグが出るまで終われまテン!状態。
しかもテスト作業はバージョンアップに伴ってまた1から作業をし直す必要があります。
チェックリストにある作業が全部終わって一段落したらその数分後にバージョンアップ、なんてことも珍しくありませんでした。
特に納期前だと特にサイクルが早く定時近くの17時半頃にバージョンアップで残業したことも。
休日出勤で土日両方つぶれることも珍しくありません。
一応断ることもできますが、断ると村八分にあうため出勤せざるをえない状況。
自宅まで2時間もかかっていたので帰るころには0時を回る超ハードスケジュール。
21時くらいに終わっても飲み会があって結局帰れない。
一日中パソコン、スマホとにらめっこしていたため眼精疲労と肩こりでクタクタ。
僕以外にも常駐社員はいましたが人によっては徹夜になった人もおり、「定時は23時」なんていう笑えない冗談も飛び交っていました。
そんな厳しい労働環境で体調不良で休んだ人がそれ以降出社しなくなるという怪現象(?)が月一で発生。
僕も胃腸の調子が悪くなって病院で内視鏡検査をしてもらうと、医者から「とても25歳(当時)の腸とは思えない」と驚かれるほどになっていて、本格的にヤバいな、と思いましたね。
続けるべきか、辞めるべきか
残業で帰宅が0時過ぎも当たり前、休日出勤で土日がつぶれる。
胃腸の調子悪化とともに貧血ぎみになり、本格的に危険を感じました。
しかし何よりキツいと思ったのは
なんで残業代が60時間超えた分しかつかないの!?
ということ。
交通費が高く会社の支給分をオーバーしていたため交通費だけでおよそマイナス2万円。
なので残業代が全額出ないのは非常に痛手でしたし、どれだけ効率よく仕事をこなしても結局はダラダラ残った者勝ち、というシステムに憤りを通り越して笑うしかない。
僕がさっさと帰るために仕事を早く片付けても(21時くらい)常駐先の社員から「君は残業したがらないね」と嫌味ったらしく言われたことで自分の中に張りつめていた糸がプツリと切れるのを感じました。
・もしここで辞めても次の就職先が見つからないんじゃないか。
・嫌々ながらも半年我慢してきた上に、不満こそあれど給料もちゃんと出る。
・また就職が決まらない陰鬱とした状態に戻るのはどうなのか。
と思いつつも
・体も心も悲鳴を上げている。辞め時なのではないか。
・常駐先であまりよく思われていないようなのはよくわかった。
・一人抜けてもまた社員送り込めばいいんだから気兼ねなく辞められる。
両者せめぎあった結果、会社を辞めることを決断しました。
こうして就職活動を再開したとき、副業と出会うことになります。
次回の記事では、副業で稼いでから低迷するまでをお話ししていきます。
こんにちは、副業しくじり先生のコウジです。